私の出産の状況をまとめました。
妊娠中期ぐらいから「出産で実際にどんなふうに始まって、どう進むんだろう?」ということが気になってきませんか?
助産師さんに質問しても、
助産師さん
という答えしか返ってきません。
実際に経験してみると、確かに「人それぞれ」としか言いようがないんだと理解できます。
陣痛を経て半日後ぐらいに分娩というのが標準としても、陣痛が途中で弱くなって家に帰される妊婦さんや、破水からお産が始まる妊婦さんも。
とはいえ、「こういうお産の事例があった」というのを多く目にするのは、妊婦さんに役立つことと思い、私の体験を詳しく書いておきたいと思います。
妊娠の経過
妊娠の経過はいたって順調でした。
ただ、途中で思うところがあり、産婦人科を変えました。
出産する産婦人科の選び方~転院した私の体験談~妊婦検診(39w6d)
予定日を前にした39w4dに風邪をひきました。
私
医師
というわけで、風邪薬を処方されました。
次の妊婦検診は41w0dとなりました。
医師
こんなことを言われ、かなり焦ってきました。
出産予定日(40w0d/3月5日)
風邪は治りません。
この時期、夫は出張続きでしたが、予定日前後には出張を入れず、入院するときには付き添ってくれることになっていました。
予定日に生まれてくれるのが一番スムーズです。
できれば予定日に生まれてほしい、でも風邪だから困る・・・という状況で予定日は過ぎていきました。
出産前々日(40w5d/3月10日)
出産予定日を超過して5日目。
「早く産まなければ!」と、午後はすごい勢いでご近所を散歩。
お腹の張り(弱い生理痛程度)を感じ始めましたが、気のせいのような気もしていました。
出産前日(40w6d/3月11日)
予定日超過6日目。
おしるし→散歩→階段昇降
朝、おしるしがありました。
おしるしは生理4日目ぐらいの少量が出続けました。
午後からは長距離を散歩。とはいえ、いきなり破水すると怖いので、そう遠くへも行けません。
お腹の張りは感じるものの、弱すぎて間隔をカウントできませんでした。
自宅に戻って休むたび、張りがおさまってしまうので、マンションの階段で昇降を開始しました。
6階に住んでいたのですが、ためていたペットボトルや缶のゴミを少しずつ手にもって、1階のゴミ置き場まで出しに行く・・・という地道な運動。
10回近く往復したのですが、これは効いた感じがしました。
夕食と玉ネギ事件
19:00 夫が珍しく定時帰宅。一緒に夕食。
陣痛は、「すごく痛いときの生理痛」ぐらいの痛みが続きました。波がはっきりせず、間隔は計れませんでした。
この日の夕食は、アジの刺身でした。
入院すると、家に生ものを残しておけないので、39wぐらいからは基本的に「その日買ってその日食べきれるもの」ばかり食べていました。
(夫が調理をまったくしないため。)
ただこの2日ほど前、どうしても食材が足りなくなり、玉ねぎを買っていたんですよね。
それまでは1個単位で買っていたのですが、その日、玉ねぎの大袋が特売で、何を思ったのか8個ぐらいの玉ねぎを買ってしまっていたんです。
私
私は、産婦人科の退院後は産後ケア施設(助産院)への入院を予定していましたので、帰宅するのは9日後。
その後は、宅配弁当で乗り切るつもりでしたので、玉ねぎを調理するのは1か月ほど先になりそうです。
産後向け宅配弁当屋さんランキング【20社を食べくらべました】「じゃあ、あきらめるしかないよね」と今なら思えるんですが・・・。
陣痛の痛みで判断が狂ったのでしょうか。すごい勢いで玉ねぎの皮をむき、炒め始めた私。
陣痛はどんどん強くなります。
リビングで持ち帰り仕事をしていた夫も
夫
なんて言うのですが、そんなアドバイスは耳に入らず、1時間ほど必死で玉ねぎを炒め、小分けしてラップに入れて冷凍しました。
その間も痛みが強くなる時間があり、数分座って休んだり、また作業したりの繰り返しでした。
ちなみにこの当時使っていたのは、一人暮らし用の小さな冷蔵庫だったので、冷凍庫内は炒めた玉ねぎでいっぱいに。
産後1か月ぐらいでハヤシライスを作るのに使ったので、無駄にはなりませんでしたが、たった数百円のことですので、玉ねぎのことはあきらめて、他にやることあったのでは・・・としか思えません。
22:00 風呂
陣痛は、かなりの痛さに。
陣痛が2日にわたる場合もあり、髪が洗えなくなると聞いていたので、念入りに髪を洗いました。
痛みが強いときには、立ち上がれないほどの痛さでした。
事前に「陣痛がきたらやること」を紙に書いていたのですが、これは本当に役立ちました。
陣痛が来たらやることリスト22:30 コンタクトレンズ洗浄
コンタクトレンズを洗いました。
当時ハードレンズを使っており、毎日洗浄が必要でした。
どうして使い捨てにしておかなかったんでしょうか。
痛いときにはもう立っていられないほどなのに、洗面所でちまちまとコンタクトレンズを洗っているのがシュールでした。
ふだんは2分ほどで済む作業なのですが、3倍ほどの時間をかけて、コンタクトレンズを洗い終わりました。
0:00 就寝
この時点でもまだ陣痛の間隔は25分ほど空いており、入院するほどではないと思って寝ることにしました。
出産当日(41w0d/3月12日)
1:00 本格的な陣痛開始
1時間ほど布団で横になったものの、眠れないので起きだして夫と話していると、ふいに激痛が。
陣痛の間隔をはかると、12分程度でした。
あわてて産婦人科に電話をかけました。
助産師さんものんびりした感じで、
助産師さん
と言われました。
2:00 陣痛間隔10分に
痛すぎて眠れず、陣痛の間隔をはかると、10分程度になっています。
産婦人科に電話をかけたところ
助産師さん
と言われました。
2:45 陣痛間隔が10分を切る。産院へ
陣痛の間隔が10分を切り、これ以上痛くなるとタクシーにも乗れないと感じるようになりました。
産院に電話をかけて入院する旨を伝えました。
移動は、あらかじめ登録しておいた陣痛タクシー(日本交通)を電話で呼び、10分弱で自宅にタクシーが到着。
ところが、乗りこんだとたん
運転士
なんて聞かれました。
タクシーの予約のときに病院の住所を入力する欄があり、ナビに登録してくれるというお話だったのですが・・・。
結局、遠回りして産院まで到着するというひどい状況でした。
陣痛タクシーって、事前に住所も登録してあり、安心なのかと思っていましたが、過信してはいけないなと感じました。
3:00 産院着
産婦人科に到着。教えられていた夜間入口から入りました。
すぐ陣痛室に入り、NSTをつけました。夫はロビーで待機していました。
このとき出てきた助産師さんなのですが、妊婦検診で顔なじみの助産師さんではなく、初対面の人でした。
顔見知りだからといって、とくに安心感があるとかそういうものでもないかもしれませんが・・・。
この産婦人科に限らず、多くの病院では、外来担当の助産師さんと、分娩担当で夜勤もする助産師さん(病棟担当)とは、はっきり分かれている気がします。
出産のときには、基本的には初対面の助産師さんに対応されると思っておいたほうがいいのかなと思いました。
さて、陣痛室に横になった時点で陣痛は5分間隔に。
かなりの強さで、体をエビのように曲げて痛みに耐える状態になりました。
ところが、内診の結果、
助産師さん
私
助産師さん
私にとってはショックな答えでした。
陣痛の強さからして、あと2時間ぐらいで生まれるのかな?と思っていたんです。
夕方までこの状態が続くというのは、想像もつきません。
でも、みんなこんなものなのかなー、この痛みに1日耐えるなんてすごいなと思いつつ、陣痛台の上で待機していました。
3:15 夫も陣痛室に
ロビーの長椅子で待っていた夫も陣痛室に呼ばれました。
助産師さん
と何度も言われました。
陣痛が強く、痛みのおさまっている時のほぼない状態になってきました。
当直のお医者さんが呼ばれ、NSTのグラフを見つつ、助産師さんと何か話していました。
このお医者さんも、初対面の人で、若い女性の医師でした。
4:00 陣痛間隔2分に
陣痛の間隔は2分程度となりました。ですが、子宮口は開いていない状況とのこと。
私、このときまで「陣痛が強くなれば赤ちゃんが生まれる」と思っていたんですよね。
でも、実際には「陣痛の強さ=子宮の収縮=赤ちゃんを押し出す力」というだけで、子宮口が開いていなければ赤ちゃんは出てきません。
私の場合は、その子宮口が指2本分と、ほとんど開いていない状態だったのです。
助産師さん
そして、顔に酸素マスクをつけられました。
助産師さん
と言われました。
喉が渇いたので、水を飲みたいと思いましたが、帝王切開になるかもしれないのでNGとのことでした。
4:15 帝王切開を決断
陣痛はいよいよ強くなり、間隔は1~2分に。
胎児心拍を示すモニターを見ると、70という数字も出て、いよいよ心配になってきました。
医師
私も夫も同意し、帝王切開の準備が始まりました。
助産師さんには、
助産師
なんて励まされたりもしましたが、私としてはまったく気にしていなかったんですよね。
むしろ「やっと帝王切開になったかー」とほっとする気持ちのほうが強かったです。
というのも、出産の申し込みのときに記入した、「産科医療保障制度」のパンフレットに書かれていた、脳性麻痺について調べて、かなり怖いと感じていたからです。
産科医療保障制度は、分娩の過程で赤ちゃんが重度の脳性麻痺になった場合に、数百万円~数千万円の補償金が受け取れる仕組みです。
パンフレットにはさらっとしか書いてありませんが、要するに、分娩時にトラブルが起こり、脳性麻痺になる赤ちゃんが一定数いるということです。
陣痛室に入って、「胎児心拍が落ちている」と言われるたび、「ああ、産科医療保障制度ってこういうときのためにあるのか」なんて思っていたので、帝王切開になったことはあまり抵抗なく受け入れることができました。
4:20 帝王切開の準備
帝王切開と決まり、周囲は一気にあわただしくなりました。
助産師
帝王切開は、夜勤の若い先生がするのかと思っていたのですが、毎回の妊婦検診を担当していた、ベテランの男性産婦人科医が来てくれるということでした。
こんな早朝に起こされて手術するなんて、すごい仕事だなあと頭の下がる思いでした。
さらに、担当の助産師さん(助産師長クラスのベテラン)も来るというのは「???」という感じでしたが、この病院ではそういう体制になっているのでしょう。
陣痛室で剃毛を受け、使い捨てらしい手術着に着替えました。
脱いだ私服については、陣痛が強すぎて自分で片づけることもできず、助産師さんに手渡して、カバンの中に入れてもらいました。
しかしカバンの中もゴチャゴチャしており・・・。
こういう服を入れるためのエコバックでも用意しておけばよかったです。
その後、助産師さんが書類の束を持ってきて、夫も陣痛室に入り、手術の説明を受けました。
書類はたくさんありましたが
- 手術のリスクについての説明書
- 輸血の同意書
- 個室利用の同意書
- 個室の料金表
といったものでした。
いずれも、家族のサインが必要な形式となっており、夫がサインしました。このときには夫がいてくれて、本当によかったです。
もともと私は、夫の仕事中に陣痛が始まったら、一人で産婦人科に入院しようと考えていたんですよね。
でも、このように緊急で手術となるリスクもありますので、出産の入院時には家族がすぐ来れる場所にいることは大切だと感じました。
個室については、「術後管理のため、個室の利用をお願いしています」と助産師さんに言われ、個室利用の申込書にサインしました。
私としては、個室料(差額ベッド代)のかからない大部屋を希望していたのですが、状況の落ち着く2~3日は個室が望ましく、その後は大部屋でもよいとのことでした。
個室料は、この病院では3万円ほどかかりますし、原則として医療費控除の対象になりません。
差額ベッド代(個室料)は医療費控除の対象になる?【国税庁問い合わせ結果】税務署に電話で問い合わせたときには、「やむを得ない場合はOK」「自分で希望した場合はNG」と言われたのですが、今回のような場合はどちらにあたるのでしょう?
病院からの指導があり、やむを得ない状況にあたりそうですが、書類上は自分で希望したことになっています。境目ってあいまいだなあと感じました。
ただ、翌年医療費控除の確定申告をするさいには、「手術後の管理のためという医療上の必要があった」と判断し、この個室料も含めて医療費控除しました。
妊娠・出産で医療費控除の対象になるもの(まとめ) 医療費控除とは?いくら戻る?還付金額をカンタンに計算する方法4:45 医師が到着
医師が到着し、陣痛室に入ってきました。
医師
こちらの緊張をほぐそうとされているのかもしれませんが、びっくりするほどのんびりした様子で、ほっとしました。
こういうのがベテランならではなんだろうなぁと感じました。
4:50 手術室へ
ストレッチャーに乗せられ、陣痛室から手術室へ向かいました。
陣痛が強すぎてほとんど観察できなかったのですが、手術室はテレビドラマで見るのとそっくりで、白と銀色でぴかぴかしていました。
ストレッチャーから手術台に移動しなければいけなかったのですが、私が大柄なのもあって手間取っている様子。
陣痛のおさまった瞬間を見計らって、自分で手術台に登りました。
機器をつないで、いよいよ手術スタート。
医師
硬膜外麻酔は痛いと聞いていましたが、陣痛がすごすぎて、注射の痛みはまったく痛みを感じませんでした。
医師
たしかに、すぐに足の先のほうからポカポカとあたたかくなってきました。
医師
麻酔がちゃんと効く体質だったらしく、すぐに感覚がなくなりました。
そして、麻酔がきいてくるとともに、陣痛も感じられなくなってきました。
私の担当のベテラン医師がメインで、夜勤の若い医師がサブで手術をする様子でした。
お腹から頭の上にかけて、手術用のビニールシートが吊るされ、医師の様子はまったく見えなくなりました。
助産師さんには
助産師
と何度も声をかけられました。
手術に対してなのですが、自分でも意外なほど恐怖心はありませんでした。
普通分娩だと、いきんだりして、自分の裁量で努力する部分ってありますが、帝王切開だとそれがありません。
まな板の上の鯉みたいな「なるようになれー」という心境でした。
5:30 赤ちゃん誕生
手術が始まってしばらくして、
医師
という声がし、肋骨の下がぐいぐい押されました。
もちろん麻酔がかかっているので、痛くはないのですが、強く押しているので、その衝撃が麻酔していない上半身にもつたわります。
何度か押されたところで、スポっと抜ける感じがして、すぐ産声が聞こえました。
助産師
と助産師さんの声が聞こえました。
カチャカチャと音がして、へその緒を切ったりしていたのでしょうか。
2分ほどして、手術用の不織布みたいなものに包まれた赤ちゃんが私の頭のほうに連れてこられました。
感動の対面・・・だったはずなのですが、私はメガネがないのと、手術着の帽子がずれて目の上にかかっていたせいで、赤ちゃんの足とへその緒しか見えませんでした。
もっと見せて、という余裕もなく、赤ちゃんは連れていかれてしまいました。
その後、手術室前で待っていた夫が赤ちゃんに付き添い、体重測定をしつつ写真撮影させてもらったようです。
5:35 手術後の処置
赤ちゃんは出てきましたが、帝王切開の手術はこれで終わりではありません。
相変わらずシートが張ってあるので見えませんが、掃除機で液体を吸い取るような音がします。開腹した部分から胎盤や血液を吸い取っている様子。
医師
と言われ、縫合開始。
手術室の中は、器具のカチャカチャいう音と、機器のブーンという音だけが聞こえていました。
医師
ええっ、なんのことか分からないですけど、怖い発言です!
助産師
医師
助産師
医師
助産師
ここでわざわざ口ははさまなかったのですが、確かに私、音楽のリクエストってしていませんでした。
バースプランで記入する欄はあったのですが、ふだんから音楽を聴く習慣もなく、スルーしてしまっていました。
このやりとりを聞く限りでは、この産婦人科では、分娩中(手術中)にお気に入りの音楽をかけてもらう人が多数派なんですね。
みんな、お産にこだわりがあるんだなーとぼんやり聞いていました。
5:45 胎盤品評会(笑)
そして、縫合も終わったらしく、手術もいよいよ片づけモードに。
手術中ほぼ1時間ずっと、ベテラン医師は若手医師にあれこれ指導して、しゃべり続けていたのですが、ここでまさかの展開に。
医師
医師
どうやら、予定日超過したことで胎盤の機能が落ち、十分に酸素を通さなくなったので胎児心拍が落ちた、ということを説明している様子です。
私としては、胎盤ってどんなものなのか、どんなふうに黄色くなっているのか、興味津々だったので、「私も胎盤見せてください!」と声を出そうかと思ったのですが、どうにも勇気が出ませんでした。
あとから考えると、私の胎盤なのですし、思い切って頼んでみたらよかったです。
実際、見たら気持ち悪いだけだったかもしれませんが・・・。
6:00 手術完了
手術が完了し、病衣に着替えさせられて手術室を出ました。
麻酔が効いているため、ストレッチャーで病室へ。
陣痛室でドタバタと申し込んだ、お高い個室に入りました。
夫に赤ちゃんの写真を見せてもらいました。
前夜から夫も私も一睡もしておらず、かなり疲れています。
私はそのまま寝てしまい、夫も病室のソファで仮眠をとったようでした。
10:00 赤ちゃんが病室へ
赤ちゃんがコット(キャスターつきの小さなベビーベッド)に載せられ、病室に連れてこられました。
助産師さんに
助産師
と言われ、私は横になったまま、赤ちゃんをお腹に腹ばいに乗せて、2分ほど授乳しました。
私は母乳に関しては、出産前から出ており、このときもポタポタと垂れるほどだったのですが、このときは赤ちゃんはほとんど飲んでいなかったと思います。
10分ほど、写真撮影などして、赤ちゃんは新生児室に帰っていきました。
麻酔が切れてきたようで、お腹に痛みを感じ始めました。
傷口だけではなく、お腹の中も痛く、「これが後陣痛ってやつなんだなー」と実感しました。
赤ちゃんが帰宅すると、夫も自宅に戻り、この日も一応会社には出勤した様子でした。
私の出産を振り返って
あとから振り返ってみると、「無事に生まれてよかった」という感想に尽きます。
あのまま帝王切開の判断が遅れ、分娩中に事故が起こっていたらと思うと冷や汗が出ます。
また、帝王切開についてまったく想定していなかったのは反省点です。
妊娠経過が順調だったので、帝王切開はまったく想定していなかったのですが、予定日が超過したあたりで、緊急帝王切開の可能性をもっと考えておくべきでした。
現在、出産の20%は帝王切開という統計もあります。
「帝王切開になるかもしれない」と考えて、出産入院の準備をしておくことは、大切ではないかなと感じています。
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